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灰とヒッコリーのバット

発達障害と精神疾患に悩まされている二十代終わりの男の生活

発達障害者支援センター

発達障害者への支援を目的とした支援センターなるものに行くと、発達障害を理解などしようとは思わなくなる。

 

少なくともそこで働く職員はそう思っている奴らが多かったし、実際にそう口にしていた。

 

嘘だと思うなら通ってみるといい。

 

そこは大抵は動物園だ。

動物園よりかは臭くはないが、動物園ほど静かではない。

 

支援センターの職員はおかしな奴が多かった。

コンビニで働いたほうがマシなほどの給料で応募して受けてくるような連中だ。

私のところではどちらが障害者か職員かわからなくなってくるほどだった。

そこにいた連中は皆、日本語ができるのに、言葉は通じない。

そして「まとも」な私は、私より「まとも」じゃない障害者の面倒を見せさせられる。

単純作業のノルマも、より「まとも」な私へと押し付けられる。

 

そして、時々来るNPO

バカで友人のいない若い発達障害者の承認欲求を満たすかわりに、労働運動組織のイベントに招待してくれる。

勿論「労働運動」のイベントなんかではない。

「政治」のイベントだ。

赤い旗が目印だ。

 

私は二度と、発達障害者関係の支援センターや事業所などには入らない。

発達障害で一番の問題は資産

発達障害の一番の問題は、経済的な自立ができるかどうかだ。

つまりお金を稼いで暮らしていけるかどうかだ。

稼げなくても、合法的な方法で資産を持ち生きていければ問題はない。

発達障害の一番の問題はここだ。

そして最大の問題。

 

「合法的に資産を集め、自立して生活できるかどうか」ということ。

 

俺の知ってる発達障害のおっさんは知能指数87を叩き出した。

しかし、彼はかなりやり手の銀行マンで、今も株で資産を増やし続けている。同じ条件で私の知能指数110だった。

勿論、大学の研究のような精密な条件で行った検査ではなかったが、少なくとも私が受けたIQ検査は大した意味を持たなかったようだ。

銀行マンのおっさんと私の年収は何倍だろう?

私はこれを計算するときにとっさに必要な要素がわからない。

しかし、そのおっさんは出てくるわけだ。

同じ発達障害でも、そのおっさんの場合はあまり行政が関心をもつ問題ではないだろう。何故なら「合法的に資産を集め、自立して生活できている」からだ。

私はこれらの結果を知らされた時、ショックだった。

IQなんてあまり意味がないからだ。

年収の数字のほうがより的確に、発達障害の問題を表している。

まぁ、そのおっさんが結婚できない理由はそのIQでも説明が付きそうだったが。

 

発達障害者への理解は難しいだろう。

発達障害といっても様々な障害が併発していたり、精神疾患も発病していたりと一概には言えないところがややこしい。

定形発達だとして生きていても実は発達障害を持っていたりする。

 

だから、問題にならないとわからないところも理解を妨げている。

 

 

 

百合

今週のお題「私の沼」

 

百合。

 

漫画やアニメ、ゲーム。いわゆる二次元のキャラクタは人を超える魅力を持っている。

それは当然のことだ。

キャラクタは人間ではない。いつも安定した己の欲しい魅力を与えてくれる。

よくキャラクタを現実世界の人間のように扱い、話を進めようとする奴らがいるが、あれらは正直言って現実と二次元の区別がついていない。

ミッキーマウスはネズミだ。ネズミを長時間にわたり労働させているのは動物虐待だ。」と言っているのと同じだ。

実際にそう主張している連中もいるだろうが、控えめに言って俺のほうがまだ精神がまともだと言える。

 

役者やアイドルは別だ。

あれらは役を演じているだけだ。

キャラクタという役を演じているだけ。

それを主として人々を魅了し商売をしている。

 

人は皆、所属するグループによって様々な役になる。

会社では上司や部下、家では父、母…などなど。

 

で、話の本題は「百合」だ。

ああ、まだだ。

ここで注意してほしいのは、「LGBT」と「百合」とは全く関係がないということだ。

まぁ影響しないとは言わない。

しかし「LGBT」と「百合」を混同してはならない。

(私の好きな)「百合」はアニメや漫画の中にしか出てこない。

決して三次元とは関係がない。

漫画であるジャンルで「ラブコメ」があるが、そのなかに出てくるヒロイン、ヒーローなどに対して「こんな奴いない!」なんて言う人がいるが多くの人間はそんなこと理解しつつ楽しんでいる。

それと同じだ。

たまに「百合」などの異性愛以外のファンタジー恋愛もののアニメ、漫画になると途端にLGBT」を持ち出す奴らがいるが、こういったやつらはただ大儀名分(だと自分たちは思っている)、道徳感?などを後ろ盾にしたつもりで、他人を攻撃したいだけなのだ。

よくTwitterで見かけることができる。気持ちはよくわかる、人を攻撃するのは快楽だからな。

 

「百合」はいい。でもなかなか私の好みに合ったものがないのも確かだ。本になっているものより、pixivなどに投稿されているもののほうがよっぽど、私の好みの「百合」にあっているものが多い。

 

しかし、やっぱり私の世代の原点は「マリア様がみてる」だな。

もう読み返すこともないだろうけれども、学生によんでとてもハマった。

最近は、積極的にさがしてはいないが。

 

 

ゲームのイベントの話だ。

あースマホゲームアプリのイベントの話。

今は、デレステのイベントをやっているところだ。

ゲームで遊んでポイントを稼げばキャラが手に入る。

スマホゲームの中ではかなり良心的だ。

多分。

だが、これをやっていると正直苦痛になってくる。

ゲーム内容自体が好きなジャンルではないから、正直辛くなってくる。

でも、それを耐えてやれば与えられるのだからやってしまう。

もし、金がかかるのならやらないが、かからないのでやってしまう。

自分の人生とは何かを考えてしまう。

時には己の苦痛を忘れさせてくれる楽しい存在であるゲームが、今は苦痛に感じる。

何かを選択することは、何かを捨てることだ。

名言か何かであったような気がする。

まさにそれだ。

ゲームをやらなかったことで得られただろう(と想像する)事。

しかし、いったい何が得られたのだろうか?

ゲームを選ばなくても、ほかの快楽を選んでいただけだろう。

漫画を読み、アニメを見る。

別に悪いことじゃない。

ああ、話がずれた。

デレステを苦痛を感じながらやることで得られるキャラ。

キャラを手に入れたとしてどのようなものを私は得ることが出来るのだろうか?

その苦痛に見合った快楽?感情?達成感?

不良にもなれず。

学生時代から一人だったが悪い連中の誰一人として仲間に引き込もうともしなかった。

ひどい話だ。

寂しさとの繋がりは?

今日はとても寂しかった。

ひとりぼっちだった。

だけどオナニーをしたらどうでもよくなった。

気にならなくなった。

寂しさと自慰行為にどういった相関関係が私の中にあるのだろうか。

「恋人がほしい」という執念。

「親しい恋愛対象になる可能性のある女性の友達、または恋人」との交流がない状況が「己の魅力のなさ」「無能さ」を表していると、私自身に対して思い込んでいる。否、長年そういった考えを持っていたために未だにその考えが、私自身の自尊心を低下させ、自己評価を下げる。

このような私自身を傷つけるだけの価値基準など、捨ててしまえばいいのになかなか消えてくれない。一人で思春期を過ごした時間が長すぎたのかもしれない。

たまに叫びだしたくなる。

「何故か」と誰かに問い詰めたくなる。

料理

私が料理をしない理由はいくつかある。

本当なら来るべきの時のために料理を始めていたいところだができない。理由の一つは、台所は母親のものだからだ。

私が料理を始めたら、己のまな板が欲しくなり、己の包丁が欲しくなるだろう。しかし、それらを置くスペースはない。己の買った道具なら喜んで洗い物をする。でも、そうでないからやる気にもならない。

言い訳としてはこれぐらいだ。

 

それに私は味音痴だ。

発達障害のためかはわからないが、匂いに鈍い。

食べ物にもあまり興味がない。

 

話は変わるがドラマ版「ハンニバル」でレクター博士は人を食べるが、彼は肉の質にはこだわらないのだろうか?いくら殺した人間を見下す意味で食べるとはいえ、その見下した人間が己の一部になることは俺のが汚れるような気がしないのだろうか?このドラマでも○○族は相手を食べてその力を得ようとしたというセリフがあったと思うが、己が見下している人間の肉を食うのは美食家としてどうなのだろうか?まぁ、どちらにしろ人間の肉は美味しくはないだろう。おいしいのなら、いくらタブーでももっと食べている奴らがいるはずだ。この地球上では未だに不政府状態の地帯もあるだろから。

カニバリズムなんてタブーを破る連中なんてわんさかいるだろう。

それでも、あまりそんな話が出てこないのは、おいしくないからだろう。