灰とヒッコリーのバット

発達障害と精神疾患に悩まされている男の生活

私が無敵の人だ

私は無敵の人だ。

失うものはなく、ただ老いていくのに怒り、他罰的な思考に陥っている。

誰か一人でも私に親身になって助けようと寄り添えばそれで済んだ話かもしれないがどうなるかはわからない。

偉大な事はできない。「普通の事」もできない。

ただ蔑まれ疎まれ疎外される。

私のような人は沢山いるだろう。

しかし私たちは連帯できないでいる。

強いリーダーが必要なのだろうか?

私たちは私たちのような存在が嫌いなのだ。

終わりは近い。

みなみな私たちを疎外してきた社会に一矢報いたいのだ

私の苦悩や苦しみは報われなければならない

これは強い信念であり妄念でもある。

俺は四年前も苦しんでいた。

あのヤブ医者のせいで苦しみから抜け出せず助かってもいなかった。

今ならわかる。

あの時に戻って私を助けてやりたい。

今はだいぶ良くなったが私は私を苦しめ続けていた。

誰も助けてはくれず時間だけがたって行った。

私は幸せにならなくてはならない。

今までの苦痛や悲しみを超える幸せを獲得する権利と義務があるということを妄信している。

 

めっちゃ雪がふっている

何のために生きればいいのかわからない。

できれば楽しく生きたい。

仕事、家族、子供といった知り合いたちが背負っている責務とは無縁のままこれからも生きていくのだとしたら楽でよいではないかと考えられればいいのだが。

本当は正社員で結婚して子供育てて死にたかった。

東京ならこれは贅沢だというだろう。

でも俺の所ではこれが普通。

贅沢ではなくこれが一人前なのだ。

できなかったことと、やれたのにやらなかったことは全く違う。

俺はできなかったのだ。

寒い。

太陽にあたり暖かな陽気でないと鬱がひどくなる。

思い込みかもしれないが、毎日睡眠時間が10時間を超えている。

何も予定がないせいだとも思う。

メイドインアビスで泣いた33歳。

アマゾンプライムで「メイドインアビス」というアニメを見た。

4年?ぐらい前のアニメを今見た理由だが、当時は鬱アニメとう感想をTuittaか何かでみて遠ざけていた。Dアニメストアでもネットフリックスでももしかしたら見たのかもしれない。

そして2021年に入ってようやく見たのだが、とてもレベルが高いアニメであった。どうやらスタジオジブリにいた方が関わっているらしく作画や背景や数シーンしか映らないメカやらとてもクオリティが高かった。背景や主人公たちが住んでいた町の内部、そして船の錆ぐあい。とてもすごかった。そして、それらが素晴らしいがゆえに気になるところもあった。主人公たちがいる巨大な穴のある町以外の科学的レベルや生活習期や政治的形態。あえてアニメの尺や物語の焦点がズレために語られなかったのかもしれないがそういったところが気になった。

33歳

33歳になってしまった。

もう結婚も子供も車も無理だ。

俺が正社員でもてないだけなら諦める必要はないが、

私は発達障害精神疾患と学歴もなく資格もなく職歴もない。

だからどう考えても結婚はむりだし、子供はもっとむりだ。

うすうす感じていたことだがそれでも絶望的だ。

胃は常にいたく、世間から置いてきぼりを食らっている感覚がある。

今後どうすれば。

未来がない。

今はデイケアに行き、医者曰く「自尊心を高めている」所らしい。

しかし、私の目標はどこなのだろう?

デイケアに行っていれば勝手に自尊心が高まっていくというのだろうか。

かといえ、デイケアに行かずに家に引きこもっていてもやることもなし。ゲームもむなしくなってしまった。辛うじて本を読むことはできるが、なんだかむなしい。

「未来への予感」が失われてしまっている。

未来への予感とは、将来こうなっていたいがために現在に目標をもって、それに向かって生きている実感のようなものだ。

つまり希望。夢。目標。

これらがない。

デイケアに行ってもそられは得られない。

結局は

結局どこにも行けないし、専門の同期にはとっくに置いて行かれている。

みじめったらしい。

結婚もできない。仕事もない。

またデイケアだ。

どこにもいけない。

楽しいことは終わってしまった。