灰とヒッコリーのバット

発達障害と精神疾患に悩まされている二十代終わりの男の生活

平和

俺たちは今、戦争をしてはいないが俺たちは誰かが戦って血を流して手に入れたものを使って生きている。

 

過去の多くの殺し合いの結果、俺たちが存在しているのは確かだ。

 

そして、今も。

人件費を抑えるためか、

よく東南アジアかどこかで、低い賃金で服や何かを作らせて、日本で売る。それは非人道的だという奴をたまに見るが、もしその仕事がなくなったらどうなるだろう?

そこで働いていた男は麻薬を売るギャングや組織に戻りケシ畑を守るためにAKをもち見回りをする仕事に就くだろう。

女は売春に戻るだろう。

こういう事例を本で読んだことがある。

どこで読んだかわからない。

もしかしたら俺の妄想かもしれない。でも、彼らが低賃金で働くことを受け入れているということは、少なくともそれが現状ベストだからだろう。

 

俺たちは戦争をしていると思う。

直接はしていない。

森博嗣の小説「スカイクロラ」だったかわからないが、世界中の人間が大きなテーブルの上にのっていて、そこはほぼ満員電車のような状態だ。俺たち日本人はそのテーブルの中央あたりにいるからテーブルの端が見えない。テーブルの中央にいる人間が隣の人間を少し押す。

押された人間は、また隣にいる人間を押す。そして、最後はテーブル端にいる人間が押され、テーブルから落ちる。

こういった例えだったと思う。

テーブルから落ちれば死ぬ。

テーブルの端にいるのが貧しい国の人々だ。

俺たちはエネルギーが欲しければ買う。

買うことが困難になれば、アメリカが動き、連合軍が動き、血を流して殺して奪い取ってくる。

それを俺たちは買う。

自ら血を流すことなく。

これは押井守の映画「パトレイバー2」でも言っていたな。

これが俺たちの平和の中身だ。

 

直接、日本人が血を流す、そのかわり他の国の奴らが血を流す。

他の国の兵士の母親達はそれを見てどう思うだろうか?