灰とヒッコリーのバット

発達障害と精神疾患に悩まされている二十代終わりの男の生活

百合

今週のお題「私の沼」

 

百合。

 

漫画やアニメ、ゲーム。いわゆる二次元のキャラクタは人を超える魅力を持っている。

それは当然のことだ。

キャラクタは人間ではない。いつも安定した己の欲しい魅力を与えてくれる。

よくキャラクタを現実世界の人間のように扱い、話を進めようとする奴らがいるが、あれらは正直言って現実と二次元の区別がついていない。

ミッキーマウスはネズミだ。ネズミを長時間にわたり労働させているのは動物虐待だ。」と言っているのと同じだ。

実際にそう主張している連中もいるだろうが、控えめに言って俺のほうがまだ精神がまともだと言える。

 

役者やアイドルは別だ。

あれらは役を演じているだけだ。

キャラクタという役を演じているだけ。

それを主として人々を魅了し商売をしている。

 

人は皆、所属するグループによって様々な役になる。

会社では上司や部下、家では父、母…などなど。

 

で、話の本題は「百合」だ。

ああ、まだだ。

ここで注意してほしいのは、「LGBT」と「百合」とは全く関係がないということだ。

まぁ影響しないとは言わない。

しかし「LGBT」と「百合」を混同してはならない。

(私の好きな)「百合」はアニメや漫画の中にしか出てこない。

決して三次元とは関係がない。

漫画であるジャンルで「ラブコメ」があるが、そのなかに出てくるヒロイン、ヒーローなどに対して「こんな奴いない!」なんて言う人がいるが多くの人間はそんなこと理解しつつ楽しんでいる。

それと同じだ。

たまに「百合」などの異性愛以外のファンタジー恋愛もののアニメ、漫画になると途端にLGBT」を持ち出す奴らがいるが、こういったやつらはただ大儀名分(だと自分たちは思っている)、道徳感?などを後ろ盾にしたつもりで、他人を攻撃したいだけなのだ。

よくTwitterで見かけることができる。気持ちはよくわかる、人を攻撃するのは快楽だからな。

 

「百合」はいい。でもなかなか私の好みに合ったものがないのも確かだ。本になっているものより、pixivなどに投稿されているもののほうがよっぽど、私の好みの「百合」にあっているものが多い。

 

しかし、やっぱり私の世代の原点は「マリア様がみてる」だな。

もう読み返すこともないだろうけれども、学生によんでとてもハマった。

最近は、積極的にさがしてはいないが。