灰とヒッコリーのバット

発達障害と精神疾患に悩まされている男の生活

異質なものとして生きる事。それ自体を忘れる事。

■普通への憧れを捨てて

「普通」なんてものは存在しないという事を知っている。

しかし「普通」は存在していなくても「普通ではない」は確実に存在している。

私は「普通」に憧れていた。普通に学生生活を送りたかった。

普通に働いて、正社員になりたかった。結婚も子育てもしたかった。

昔から「普通」という理想に憧れていた。

でも大人になって「普通」なんて存在しないことを知った。

しかし、私には「普通でない人」という要素が残った。

発達障害者、精神疾患。働けない。自立した生活ができない。

普通は存在しないのに、普通ではない私が残った。

これからどのようにして普通ではない自分を社会に売り込んでいけばいいのだろう。そんな余裕が社会にはあるのだろう。

あるのだとしても私の身近にはないのかもしれない。

31歳の近況

■31歳になってから

前職をやめてから2年近くが断とうとしている。

仕事中の腹痛が収まらず辞めたはずだったのだが、医者にはそれは通じていなかったようだ。

カウンセラーもやめてしまっていなくなってしまった。

私はどうすればいいのか考えてきた。

もうこのまま引きこもりを続けもいいのではないかと思った。

 

■惨めさからの脱却と自尊心の復活、劣等感の削除

思えば私の人生はこの「惨めさ」に振り回されてきたような気がする。発達障害による学生時代の様々な「惨めな」苦労や苦痛をなかったことにしたいがためにデザイナーの道に進んだ。だけどもそれは失敗だった。発達障害特有の小さなミスや段取りの悪さなどがあって直ぐに首になった。再就職のために次を探しても劣等感や自己評価の低さ、発達障害精神疾患などが邪魔してうまくいかなかった。

そして惨めな引きこもりをした。

せめてアルバイトをしようとしても結局は発達障害精神疾患が邪魔をしていつも怒られて辞めざるを得なくなった。

バイトと就労移行センター、デイケアを経て、就労移行の人の助けを得て障害者枠で働きだした。しかし、それも結局はだめだった。

「惨めさ」を感じた。そこでは私と同年代の人々が正社員として働いていた。その人たちはボーナスをもらい、輝いていたが、自分は一生アルバイトの障害者だった。

人々の見る目が気になった。皆が馬鹿にしているように思えた。

結局、いつもと同じようになった。怒られて、情緒不安定になり、腹痛、頭痛が激しくなり、やめてしまった。

当時でさえそんな自分を責めていたが、腹痛さえなければ続けれ入れたかもしれなかった。

今も「惨めさ」から逃げられないでいる。だいぶましになったとはいえ、結局、今の状態を他人に説明できない。結局のところそれは私が自分のことを恥じているからだろう。

意識改革、自尊心の復活、劣等感の削除が必要である。

 

私は私のことを恥じる必要はない。

他人が何か言ったとしてもそれは他人の知識不足にすぎない。

それとも後悔を抱えたまま老いぼれて、孤独に死を待つのか?

このタイトルはインセプションから。

まさに今の私に突き刺さる言葉。

だからといってどうすることもできない、動くことができない状況にあるわけです。

動くことのできない理由なんていくらでもあとから付け足すことができますが、究極的に言ってしまうと精神病だからだと思います。

しかし、いつまでうつ病を患っているのか。

徐々に老いぼれていく。

後悔を抱えたまま老いぼれて孤独に死を待つのか?

最近は本も読めていない。

SNSではあまり鬱だのなんだのと言えないわけです。何故なら、すぐに宗教だのネットワークビジネスだとスピリチュアルのくそ野郎どもがたかってくるわけです。

私は宗教などを一通り勉強して様々に学んだので、そんなのは無視できます。油断はできませんが。

 

動けない。

どこにもいけない。

 

生きる目標を決めなくては

生きる目標を決めなくては。

もはや30歳。

人によっては突発的に死んでしまうかもしれない年齢。

時間を無駄にしておくわけにはいかない。

私たちは窓辺に薄く降り積もった埃であり

管理者がふと気が付いて、気まぐれに布でそれらをはたけば

消えてしまう存在なのだという事を

震災で知ったのだ

無駄な時間などない。

いきない

まだいきている。

夏に近づけば近づくほどセロトニンが増えて、元気になる。

否、憂鬱が減る。

 

別にどうでもいいことだが。

 

大した消費もできなければ、生産もできない。

 

常識やルールに従って動いた結果がこれならば、もはやそのようなものに価値がありましょうか

世知辛い

今日もつらい。

今日もメンタルクリニックにいったが、特に進展はない。

自分でどうにかしなくてはいけないという事は理解しているが、なかなか辛い。。。

とりあえずやりたこともないから働こうとしたら働けないし、興味があるものがどんどんなくなっていく。

心がすり減っていくのがわかる。

もう、読書もできない。

失うのは若さばかり。それではいけないと思いつつ、どうしようもない。やり始めたことも続けていきたい。

くだらなくても続けていきたい…

 

オンラインゲームが辛い理由

私はFPSのオンライン対戦ゲームが好きだ。

CODシリーズやBFシリーズも好きだ。

codww2はお手軽なFPSで好きだし、BF1は戦争の泥臭さをカジュアルなプレイの面白さを損なうことなく表現できていると思う。

しかし、正直に言うと不満はある。codww2はどんな武器を使っても新鮮味がないというか同じような挙動で、「小銃」を扱っている感覚を感じない。サブマシンガンを使用しても、アサルトライフルを使用しても勿論性能は違うんだけど、その銃をもちフィールドを走りまわっている感覚がない。それに比べてbf1は、「銃」の様々な個性を感じ、とても気に入っている。

しかし、オンラインであるがゆえにチームでの行動は重要である。

特にcodww2よりbf1の方がその重要度が高く感じる。

それが面白さの要素であることはわかる。しかし、私にとっては疲れる要素でもある。

結局、問題は私の方にあるのだが、疲れるのだ。人付き合いは…

仲良くならないと話に気を使ってばかりで楽しめないからゲームに集中できない。お手軽感もない。

そういった意味ではcodww2が好きでもある。

ゲーム時間は短いし、自分勝手にやってもBF1ほど迷惑は掛からない。

そもそも、FPSは好きだが、私の環境ではやるのは苦痛だ。

私が初めてオンライン対戦FPSに触ったのがPS3COD4だがラグくて一キルも取れないのである。

最近はそうでもなくなったが、やはり反射神経ゲームのcodシリーズではこれは致命的だ。

それでもやり続けた結果。他人に対してFPSで怒らないが、機械や環境にすごく怒りを感じる。

やりすぎると目が痛くなるまでやり続けるのであまりできない年になってしまったが…

 

他のRPG系のオンラインゲームは終わりなき作業のような感じがしてやる気が起きないし、そもそも装備がダサかったりする…

まぁ、自分でカスタマイズしたキャラはゲーム内で一番かわいいと感じるがw